中國紀行 CKRM Vol.41

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魏の曹操といえば、中華文化に疎い人であっても、どこかで聞いたことのある名だろう。それほどまでに、日本中に『三国志』の物語は浸透している。媒体は小説であったり、漫画であったり、ゲームであったりと様々だが、あまりにも多くの物語が創作されている為に、これが中国の正式な歴史であったと知る人は、意外にも少ない。
三国志の英雄は実在し、その末裔が日本列島に移住していたとしても不思議ではないほどに、僕らの文化は密接に繋がっていた。中でも曹操の魏というのは、後の歴史の中で不思議と、日本の歴史との繋がりを匂わせている。歴史と人流を知ることで、いつの日かその繋がりが解明される日が来るのかもしれない。今号では、その考察の一つの切り口として、曹操孟徳生誕の地である「安徽省亳州市」の旅を進めていく。
曹操孟徳生誕地である安徽省亳州市は、三国志の時代は「沛國譙県」と呼ばれていた。しかし、「亳」という地名はそれよりも古く、「商(殷)王朝」時代から使われている。亳は商の都の名であり、商の初代王である湯王の墓が現在の亳州市にあるのだが、その理由はこの地が、古代においても特別な土地だったからだ。
現代の亳州市は漢方薬で使われる薬材の一大集積地、曹操が献帝に貢いだという「九醞酒(きゅういんしゅ)」が生まれた地である。この恵まれた地理的環境の中で、曹操は幼少期に何を見て、何を感じたのだろう。平穏な時代が終わりつつある時代、曹操を英雄へと導く思想が育まれた地、安徽省亳州市を中國紀行CKRM的視点で巡っていこう。