アジアIPコンテスト in TOKYO 2024:日中文化・クリエイティブ交流の新たな幕開け

11月22日、「アジアIPデザインコンペティション in 東京2024」の表彰式とシンポジウムが多元文化会館で開催された。 アジア各国からクリエイティブなデザイナー、企業関係者、文化交流の専門家などが集まり、キャラクターデザインの未来と文化創造の無限の可能性について語り合い、 厳正なる審査の結果、優秀作品が発表されました。

中国気象局二十四節気重点開放実験室室長の宋英傑氏、株式会社PICK UP代表の佐藤進拓氏、林デジタル建設株式会社代表の林秀則氏、クリエイティブディレクターのフランク横山氏、日本無垢美株式会社代表の胡栄氏、SOOTANG HOBBY CORPORATIONおよびSHAPE TOYS Co., Ltd.創業者の興毅氏らが出席した。また、渋谷区日中友好協会理事・事務局次長の甲斐朝幸喜氏、日中文化観光振興協会会長の何慧群氏、日中映画・アニメ・コミック・ゲーム協会代表理事の孔健氏、元科学出版社東京駐在代表の翔振南氏、日中写真家交流協会代表の飯岡華也子氏、有限会社ポテトハウスクリエイティブデザイナーの浜田絵里子氏など、主催は日中アニメ・コミック・ゲーム産業協会(JCAA)。 主催者は、日中アニメ・コミック・ゲーム産業協会の関口貢会長、株式会社アニチナの遠藤貴司会長、日中アニメ・コミック・ゲーム産業協会(JCAA)の濱田恵理子会長等、イベントには多くの業界関係者が出席した。

 

IPコンテストの概要はこちら。

https://www.ipcon-acg.com/

 

中國紀行 CKRM Vol.37

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長江下流域、日本では揚子江としても知られるこのエリアには、かつて楚・呉・越という国々がありました。楚の始まりは、記録に残されていないほど古い国だったようですが、三皇五帝の「顓頊」から始まるとされています。それぞれの国には異なる開国神話があるのですが、不思議な事に全ての国には、鳥の信仰がありました。鳥の信仰は春秋戦国時代に中華を一つに統べた始皇帝の「秦」や、夏王朝が始まる時にはすでに存在したという、「蜀」の文化の中にも見られるのですが、何故鳥なのでしょう。『日本書紀』の中でも鳥は、「金鵄」や「八咫烏」が登場します。日本の神話に出てくる八咫烏は、「高皇産霊尊」によって遣わされた導きの鳥でした。導く鳥と長江流域に伝わる鳥の伝承には、何か繋がりがあるのかもしれません。揚子江とも言われる長江下流域に残された文化を、現代の様子と共に、中國紀行CKRM的視点でお伝えします。


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中國紀行 CKRM Vol.36

CKRM 36

コロナ禍になってからというもの、中国への渡航が困難になったのを機会として、弊誌では日本国内に残されている大昔からの中国大陸との関係を、様々な特集テーマで紹介してきました。琉球特集から始まり、アイヌ特集、江戸特集と進めていきながら、取材先でお聞きした事や、多くの研究者のご意見を参考にさせていただき進め、34号では日本の歴史の始まりとされる、天孫降臨のテーマにいきつきました。
続く35号の媽祖特集では、機械文明が発達する前の航海を、当時の信仰を含め考え旅したことで、この先の中国各地の方々との交流の方向や、日本の方々にお伝えすべきだと感じたテーマがいくつか見えてきました。その一つが今回の特集テーマ、日本の神々が暮らしていたとされる「高天原(たかまがはら)」が、現在の中国四川省にあった「古蜀國(こしょくこく)」なのではないかという可能性です。かつての中国大陸と日本列島の間には、現代の貿易商のように国々の文化を繋ぐ存在がいた可能性があります。そのような方々がいたからこそ、これほど離れた地域の中にも共通の文化が生まれ、共通の大切な事柄があるのかもしれません。
日本最古の国史である『日本書紀』の中には、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と祖父である高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)の共通の尊称である「尊」について説明する箇所がありますが、初代である神武天皇以降の天皇の系譜を見ると、御名の最後に尊がついている方々にはある共通点がありました。それは、「異なる文化圏の人々を自国の文化と繋げたこと」だったのです。四川省の三星堆遺跡から出土した「尊の中身」や、組み立てられた「巨大な青銅器」は、日本の神代の記録とも合致しているかのようです。
中原文化の発祥とされる夏王朝の禹王以前に、すでに蜀はありました。金沙遺跡から出土した「玉器と金器の技術力の高さ」と、どこかへ移動した可能性がある「青銅の技術」。中国最古の地方誌の一つである『華陽國志』の中に記された「會昌神」と、日本の「岐神」の類似性。『山海経』の中にある「扶桑」の記述と、「養蚕」の発祥地である「蜀」の、初めての王である「蚕叢(さんそう)」。日本はかつて、世界有数の養蚕国家でありました。これら共通点の中にある古代日中交流文化の可能性に、中國紀行CKRM的視点で迫ります。


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