140年の歴史を持つ有田焼の老舗 香蘭社を支える「伝統」と「革新」
株式会社香蘭社代表取締役会長 深川紀幸氏インタビュー
中国『易経』の言葉「君子の交わりは、蘭の宝の香りの如し」に範をとって社名を名付け、澄んだ白磁と繊細かつ華やかな絵付けの美しさが特徴で、国内外で高い人気を誇る「有田焼」老舗株式会社香蘭社。香蘭社は「古伊万里」「鍋島」「柿右衛門」の3様式を融合させ、有田400年の歴史を昇華させた精微で華麗な「香蘭社調」「香蘭社スタイル」を生み出し、1878年のパリ万博をはじめ、数々の万博で金牌やグランプリに輝いて、近代有田焼の最高峰として明治期より世界を魅力し続けている。 伝統を受け継ぎながら日々進化を続ける同社の先代社長・現会長の深川紀幸氏に、時代を超えて続く香蘭社の物語を聞いた。
香蘭社の創立は1875(明治8)年。明治維新に伴う廃藩置県により自力で販売ルートの開拓を迫られた窯元らが、世界万国博覧会に出品する商品作りのために結社を作ったのが始まりだ。その製品が1878年のパリ万博で金賞を受賞した後、八代深川栄左衛門 の単独経営となり、現在に続く基礎が作られていった。
「革新」と「保守」は9対1でちょうどいい
現在、同社の柱となっている事業は、美術工芸品・日用食器などを中心とする磁器の製造・販売とともに創業者・8代深川栄左衛門が手がけていた碍子(がいし:電線を電柱などに絶縁状態で固定するための陶磁器製の器具)製品の製造、1970年代に入って新しく設立されたニューセラミック製品の製造の3つだ。
有田焼の老舗窯ともなればさぞかし伝統を大事にしているのだろう……と思いきや、「伝統を守ろうとしても必ず守りきれない部分はあると思います。だから、10人いたら9人は新しいことに取り組み、1人が維持することに専念するぐらいでちょうどいい」と深川会長は言う。
創立間もない頃に吹き荒れたジャポニズム、戦時中の職人の徴兵による人員不足、敗戦に伴う海外支店の廃止、高度経済成長からバブル期にかけての需要増大、バブル崩壊以後のギフト品の低迷、リーマンショックと続く歴史の波の中で、同社も時代に合わせてまた変化を続けてきた。
2006年から7年間社長の職にあった深川氏が決定した、百貨店販売から直販への切り替えもその一つだ。「それまで自社の社員をつけていたけれど、売り上げから言えばとてもそこにお金はかけられない。そこで百貨店に直接関わるのは止めにして、通信販売やweb、自社店舗での販売メインへと少しずつ切り替えていきました」と、消費者の変化に合わせて販売ルートを大幅に変更。同時に、百貨店向けの価格付けを見直したことで、利益が出せる体制への建て直しにも繋がった。
その一方で、ロングセラー商品が極めて稀な焼き物の世界で、50年近く売れ続けている象徴的なデザインがいくつもあることも同社ならでは。もちろん発売直後に比べれば販売数は落ちているものの、半世紀を得た今でも古びたところがまったくなく、人々に愛され続けている。
企業の本質は人
しかし一方で、時代がどれだけ変わろうが変わらない部分もある。その一つは「企業の本質は人」だということだ。多くの伝統産業と同じく、次世代を担う若者の登用は同社にとっても頭の痛い問題。これまでにも、大学の研究室への投資・連携を通して人材の確保に力を入れてきたが、日本唯一の陶磁器専門の専修学校・県立有田窯業大学校を合わせた佐賀大学芸術デザイン学部などとも連携して「情熱を持った、ぶれることのない人材」を獲得する努力は絶対に必要だと深川氏は言う。
同社のデザイナーは入社後、明治初期頃に始まる先人たちが書き残したデザイン帳を見て、デザインの流れを体験するのが第一。その後、身近な草花のデッサンをベースに展開させていくのが基本で、最近では雑誌や着物の模様、他社の製品など多くの直接的な刺激を取り入れることが、時代を先取りしたデザインの誕生にも繋がっているという。中には、色合いやデザインが斬新過ぎて受け入れられず失敗したりもするそうだが、20年、30年の時を経てから人気が出ることもあるというから奥が深い。
最後の一社になるとしても有田焼として頑張りたい
同社のもう一つの原則は「製品の品質を精緻にすること、形状および画彩は美にすること、製造の費用を抑え原価を安くすること、 名誉を保ち永久の利益を図ること」との4つの言葉に集約された、創業者の精神であり、同社の核を為すもの。その示すところは、どの業務分野においても顧客が価値を見出せるような商品を作り続けていくこと。それは「生産を守ることが伝統を守ること」でもあるからだ。
「有田という町は現状では昔に比べて衰退しています。今後どうなっていくかは分かりませんが、たとえ有田焼最後の会社になるとしても、この町の中で、最後の最後まで有田焼として頑張っていきたいですね」。深川氏の言葉には、有田焼400年の歴史とその担い手である誇りが溢れていた。