中國紀行 CKRM Vol.30
修験道の祖と伝わる役小角。
その足跡を辿る後裔たちによって、役小角が修行した葛城や金峯山(大峰山脈)は、山伏や修験者達の一大聖地になっていきました。
役小角は葛城と大峰山脈北側の間、奈良の御所市で生まれたといわれます。
葛城とは大阪と和歌山の府県境の東西を繋ぐ和泉山脈と、大阪と奈良の南北を繋ぐ金剛山地といわれる峰々一帯のこと。大峰山脈は吉野山から熊野本宮付近まで続く大山脈です。そして、大峰山脈に源流をもつ熊野川は熊野本宮下流域の名であり、この名は上流にいくごとに変わります。
熊野川下流域にある新宮市には、昔から徐福渡来伝説がありました。
徐福とは、約2200年前の中国大陸にいた方士の名で、方士というのは後の道士となる存在といわれますが、道教が成立する前の時代ですので、諸子百家の道家という人達に近かったようです。
道士の修行の目的は仙人になることと聞きますが、道家は何を目指す人達だったのでしょう。
仙人とは幾千万の命を救う存在で、その知識や技術を自然から学ぶ為、人間の知識では理解しがたい現象が起きる自然環境に身を置くそうです。その考えの根本には、道という概念がありました。
取材を進めるにつれ、道家の思想と山伏がとても似ているように感じました。
徐福渡来伝説の残る新宮から、熊野川を挟む対岸に鵜殿という地域がありますが、鵜殿とは東三河の蒲郡市で国人となった一族がいた地域。
この海岸線を北上すると、日本最古の神社といわれる花の窟神社に繋がります。
東三河に伝承された鬼の祭りである花祭は、熊野から来た修験者達が伝えていました。
役小角の足跡を辿り、徐福伝説の残る地に向かい、熊野から奈良への道程にまつわる神武天皇の伝承を交えながら、役小角と道家思想がなぜ似ているように感じるのか、中國紀行CKRM的視点でお伝えします。