中國紀行 CKRM Vol.31

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高知龍馬空港の横にある田村遺跡には、弥生前期の遺構がある。
この大集落の人達は、どこからやってきたのだろう。
弥生中期の銅鐸(どうたく)や銅矛(どうほこ)の文化圏は、四国中央部を中心に東西に広がっているようだ。
江戸時代の日本人は、呉(ご)の太伯(たいはく)の末裔であることを誇りにしていたが、
春秋(しゅんじゅう)最後の呉王である夫差(ふさ)の末裔が辿り着いた地が、土左國(とさこく)だったのかもしれない。
飛鳥(あすか)時代に絶大な権力を持っていた蘇我(そが)氏は、大化(たいか)の改新によって本宗家が滅亡しているが、
後の世で四国統一を果たした長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)には、多くの謎が残されていた。
その名に隠された、ソガの音。
長と部には、本家と一族の意味がある。
自らを秦氏(はたうじ)と名乗っていた意味と、四国北側に拘った理由。
全ては、海洋貿易の担い手の歴史に繋がっているのかもしれない。
土佐神社のある地域には、雄略(ゆうりゃく)天皇と同様の勢力をもつ葛城(かつらぎ)の一言主(ひとことぬし)がいた。
弥生時代から江戸時代にかけての高知県の謎に、中國紀行CKRM的視点で迫っていこう。