中國紀行 CKRM Vol.38

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中華人民共和国、略して「中国」。中華文化継承国にして、多民族が共生するこの国には、中華文化の中心地が存在している。もちろんそれは、国の首都という意味ではなく、その字の通り文化の中心地なのだ。略称としての中国ではなく、かつての中国大陸には、統一王朝継承の風習があり、皇帝の氏族が変われども、連綿と続いた中華の中心地としての「中国」の歴史があった。
各時代の王朝ごとに首都が置かれた地域があり、それぞれの首都は多くの記録の中で、「中国」と伝えられている。現代の都市名でいうと、近い王朝でいえば清王朝の時代、首都の位置は「北京」である。その前の時代は明王朝、最初の首都は「南京」だ。その前の元王朝の時代に「北京」が初めて首都になり、その前の宋王朝の首都は「開封」、その前の唐王朝の首都は「西安」で、中国唯一の女帝である武則天の治世のみ、首都が「洛陽」になる。
歴史上の中国の位置は、首都の位置によって異なっていて、全てが「二文字」。これに対して王朝は、清・明・元・宋・唐のように「一文字」だった。この統一王朝の「一文字」の前には、盟主国を表す「大」がつけられることがある。それぞれの盟主国は、大清・大明・大元・大宋・大唐というように、大の後に国名が記されることがあったのだ。かつての「中国」をわかりやすくいえば、各統一王朝時代の皇帝がいた、「二文字」の首都のことだったのである。
それでは、中華の中心地も中国と同じ地域だったのだろうか。これがややこしいことに、必ずしも同じとはいえないのだ。中華とは文化のことなので、この中心地を位置付けるのならば、中華文化に属す地域全ての中心を指すことになる。となると、中国同様に中華文化も時代ごとの世界への影響によって、範囲が変わり中心地も変わるのだろうと思われるかもしれないが、実は違う。ずっと同じ地域だったのだ。
その場所は、中国文明の発祥地にて中華文化の生まれた地域。中国大陸中原の地、「河南省」なのである。それでは、「中華の中」の地である河南省を、日中交流文化史観で古代人類の真理に迫る『中國紀行CKRM』的視点で見ていくことにしよう。